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札幌地方裁判所 平成3年(ワ)1610号 判決

③事件

原告

高橋俊彦

外二〇一名

右原告ら訴訟代理人弁護士

安田信彦

佐藤裕人

古川靖

被告

株式会社講談社

右代表者代表取締役

野間佐和子

被告

野間佐和子

外五名

右被告ら訴訟代理人弁護士

河上和雄

的場徹

右被告ら訴訟復代理人弁護士

山崎恵

成田茂

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、各原告らに対し、連帯して各金一〇〇万円及びこれに対する平成三年一一月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告らが被告株式会社講談社の発行する定期刊行雑誌に宗教法人「幸福の科学」及び代表役員大川隆法(本名中川隆)に関する誹謗中傷記事を執筆・掲載及び出版等をしたことによって原告らの宗教上の人格権を侵害したとして不法行為に基づく慰謝料を請求した事案である。

一争いのない事実等

1(当事者)

原告らは、幸福の科学の正会員として、幸福の科学を主宰する大川を信仰の対象とし、幸福の科学に帰依していると主張する者らである。

被告講談社は、雑誌及び書籍の出版等を目的とする株式会社であり、週刊「フライデー」誌(以下「フライデー」という。)、週刊「現代」誌(以下「週刊現代」という。)、月刊「現代」誌(以下「月刊現代」という。)等を発行している。

被告野間は、被告講談社の代表取締役である。

被告元木は、フライデーの編集者である。

被告早川は、フライデーに掲載された後記記事の本文を執筆した(ただし、同記事の見出し部分は同紙編集部が考案したものである(弁論の全趣旨)。)。

被告森岩は、週刊現代の編集者である。

被告佐々木は、月刊現代の編集者である。

被告島田は、日本女子大学文学部史学科助教授であり、月刊現代に掲載された後記記事の本文を執筆した(ただし、同記事の見出し及びリード部分は同紙編集部が考案したものである(弁論の全趣旨)。)。

2(本件記事の掲載)

被告講談社が発行するフライデー、週刊現代及び月刊現代に、次のような記事(以下「本件記事」という)が掲載され、出版された。

(一)  フライデーに掲載された記事

(1) 同紙平成三年八月二三日・三〇日合併号は、「連続追及 急膨張するバブル教団『幸福の科学』大川隆法の野望『神』を名のり『ユートピア』ぶち上げて3千億円献金めざす新興集団の『裏側』」との見出しを付した記事を掲載し、その中には、

GLA元幹部で現在、東京・墨田区で人生相談の「石原相談室」を開いている石原秀次氏は語る。

「彼がまだ、商社にいるころでした。ぼくのところに、ノイローゼの相談にきました。『GLAの高橋佳子先生の『真創世記』を読んでいるうちにおかしくなってしまった。自分にはキツネが入っている。どうしたらいいでしょうか』と。分裂症気味で、完全に鬱病状態でした。ノイローゼの人は名前や住所を隠す場合が多いんですが、彼も中川一郎(本名は中川隆)と名のっていました」

その青年が、数年後の現在、霊言の形を借りては、あらゆる宗教家、著名人になりかわり、ついには自分は『仏陀である』と語るのだ。

大川氏の変身ぶりの背後に何があったのか。宗教の魔訶不思議な作用というには、あまりにいかがわしさがつきまとっているとはいえまいか。

との記載がある。

(2) また、同紙同年九月六日号、同月一三日号、同月二〇日号、同年一〇月四日号、同月一一日号、同月一八日号及び同月二五日号は、「連続追及 急膨張するバブル教団『幸福の科学』大川隆法の野望」との見出しを付した記事を掲載した。

(二)  週刊現代に掲載された記事

(1) 週刊現代平成三年七月六日号は、「内幕摘出リポート『3000億円集金』をブチあげた『幸福の科学』主宰大川隆法の“大野望”東大法卒の“教祖”が号令!」との見出しを付した記事を掲載し、その中には、

①「私は入会して3年になりますが、宗教法人として認可(今年3月7日)されてから、おカネの動きが激しくなりました。この前、(東京・千代田区)紀尾井町ビルの本部で、ちょうどみかん箱くらいの段ボールが数個、運び込まれているところに居合わせたんです。経理の人に『あれはコレですか』って現金のサインを指でつくったら、その人は口に指を当てて“シー”というポーズをした後、『そうだよ。でも、他の人にいってはダメだよ』といいました」

いま話題の新興宗教「幸福の科学」(大川隆法主宰)の中堅会員は声をひそめて語った。

ついに、あの「幸福の科学」が、巨額の資金集めを始めたというのだ。

② ……もともとこの教祖はなかなか自己顕示欲が強く、プライドも高いのは確か。

「6月16日、広島で行われた講演で大川氏はこんなことをいっていました。

『最近、会員のなかに霊がわかるという人がでてきたようだが、皆、そんな人に惑わされないように。もともと、その霊能力も私が授けたものなんだから』

自分以外の者が勝手なことをしたり、注目を集めるのが許せないんです」(元会員)

との記載がある。

(2) さらに、同紙九月二八日号は、「徹底追及第2弾 続出する『幸福の科学』離反者、内部告発者の叫び 大川隆法氏はこの『現実』をご存知か」と見出しを付した記事を掲載し、その中には、

① ……「幸福の科学」とはどういう教団なのであろうか。

草創期から携わっていた元役員は次のようにいう。「もともと大川氏は口数も少なく、大人しいタイプでした。会員をはじめ、役員たちとあまり話をすることもありません。教団の運営は、ごく限られた“腹心”たちと決めていました。会員の動向は、その腹心たちから毎日上がってくる『業務報告』で把握していました。ただこの報告が問題。ここで悪くいわれた人は、すぐ教団を追い出されました。みんな、この報告のことを陰でゲシュタポ・レポートと呼んでいました。」

当初からこの集団は“問題教団”になる危険性をはらんでいたのである。

② 大川隆法主宰(本名・中川隆)は……いったいどんな“素顔”をもった人物なのだろうか。

「銀座の高級クラブで10人くらいの側近を引き連れた大川氏と一晩、ヘネシーを飲んだことがあるけど、物事を論理的に話すヤツだなあという印象を持ったな。ただ、自分より上のヤツは持ち上げ、へつらうところがある。意外と気も小さいと思ったな」

というのはある画家(特に名を秘す)である。

今春、銀座の画廊で「観音様」をテーマにした個展を開いたとき、大川氏が一団に囲まれて会場に現れ、40号の「観音様」の絵を50万円で買ってくれたというのだ。

その画家が、

「できるだけ無欲の精神で描こうと思っていますが、なかなかうまくいかないものです。煩悩の数だけ生きて、109歳にでもなれば、納得のいく絵が描けるかもしれません」

というと、大川氏は、

「私も宗教者として全く同じ気持ちです」

と答え、意気投合。

そして、大川氏の側近から、「銀座で一杯いかがですか」と誘われ、一緒に飲んだというわけだ。ただ、行った店は大川氏の行きつけではなかったようで、店内でも大川氏は静かにグラスを傾けていたという。

との記載がある。

(3) 同紙一〇月一二日号は、「『幸福の科学』の強引な『カネと人』集めははた迷惑だぞ!今度は小誌が『名誉毀損』だって」との見出しを付した記事を掲載し、その中には、

① そこまでいうのなら反論しよう。

まず小誌9月28日号でゲシュタポ・レポートの存在を明かした草創期からの会員の再証言である。

「内部の状況を逐一、大川氏に報告するレポートが“腹心”の役員から出されていました。陰口をたたいたりした人間はチェックされ、まず監視をつけられました。なかには、突然仕事をホサれたり、イヤガラセとしか思えない命令をされる人もいた。そんな人たちは、次第に追いつめられて、辞めていきました。私の仲間が、それを“ゲシュタポ・レポートと呼んでいたのも事実です」

元幹部も、これを裏付けるように証言する。

「この報告はほぼ毎日出されていました。初期の責任者はK・T氏。彼は会員たちの間では絶対的な存在でしたよ。よく『自分がいうことは大川先生のいうことだ』といっていました。彼が逐一報告していたため、大川氏は事務所に来なくても、会員の動向を把握できたわけです」

② 一方、50万円で絵を買ってもらった画家は、こう語る。

「なんでウソだなんていうんだろう。きっと今、大川氏はカネに困っているので、絵を買っていたなんて書かれると困るんだろうね。周りに、“ムダ遣いしている”と思われたくなかったんじゃないかな」

その画家は今年4月1日から6日まで、東京・銀座の某画廊で個展を開いていたのだが、ある日、大川氏が5、6名の側近を連れてきたという。「側近の一人から『大川隆法さんです』と紹介されたんだ。その時、『太陽の法』とかいう本もくれた。その後、大川氏らと銀座へ繰り出したのも本当だよ」(ある画家)

との記載がある。

(三)  月刊現代に記載された記事

月刊現代平成三年一〇月号に、「宗教学界の異才が初の本格追及 こんなものがはびこるのは日本の不幸だ!バブル宗教『幸福の科学』を徹底批判する」との見出しを付した記事が記載され、この中には、

① 単なる古今東西の宗教の寄せ集めで体系性を欠いた思想、「日本だけは大丈夫」の怪説―会費ダンピングで数だけ増やす“危険な宗教”の狙いと本当の正体を見誤るな

とのリードがあり、さらに、本文では、

② 幸福の科学が何を目的に活動しているかがわからない

③ 幸福の科学の教えがどういったものであるかは、大川の本を読んでも理解できない

④ (幸福の科学の)イベントや本に内容がない

⑤ (幸福の科学の)教えの内容(は)…、単なる古今東西の宗教の寄せ集めにしかすぎない

⑥ (幸福の科学の)教え(は)…、寄せ集めで体系的でない。

⑦ 幸福の科学は、まさに「バブル宗教」である。その目的は自分たちの組織を拡大することにしかない

⑧ 幸福の科学の会員たちは日本だけの繁栄を望んでいる

⑨ 日本人のダメさの象徴が幸福の科学なのかもしれないのだ。幸福の科学の正体は、日本人の正体でもある

⑩ 大川隆法の「正体」は、せいぜい落ちこぼれのエリートでしかないのだ

⑪ 平凡なエリートの落ちこぼれと宗教好きの父親という組み合わせが、幸福の科学の『正体』である

との記載がある。

二争点

1  本件訴えの適否(被告らの本案前の主張)

(一) 主張の不特定

本件訴えは、被告講談社の行った大川主宰に関する報道全般を無差別、無限定的に問題とするものであり、また、信者であるというだけで、彼らがこの報道に接したか否かを問わずに慰謝料請求ができるというものであって、特定された法的請求とはいえない。

(二) 公序良俗違反

本件訴えは、大川を「神の言葉を預かる者」などと位置付け、特別な存在として、同人に対する「不敬」を一切許さないとする思想に貫かれ、思想・良心の自由及び表現の自由に違背する前近代的なものであり、憲法秩序を真向から否定する性格のものであるので、請求内容自体が公序に反するものである。

(三) 動機、目的における違法

本件訴えは、幸福の科学が平成三年九月二日以降組織をあげて継続している被告講談社に対する不法な業務妨害行為・講談社攻撃の延長線上に位置付けられるものであり、被告講談社に対する政治的な打撃を目論み、全国の信者らを組織的に動員して統一反復して提起した訴えの一つであり、信者多数が多額の慰謝料請求訴訟を全国で一斉に提起することで、被告講談社の信用を毀損するとともに、本件訴えの提起を通じて信者を更なる講談社攻撃へと駆り立て煽動し、又、全国各地の裁判所に集団で提訴し、被告らにそれぞれに対する応訴を義務付けることで、その準備、対応、応訴の費用等の時間的経済的負担を課することによって、被告らをして、幸福の科学及び大川に対する批判的言論を今後行うことを断念させることを目的としている。したがって、本件訴えは、その動機、目的において違法というべきである。

2  不法行為の成否

(一) 原告らの主張

(1) 宗教上の人格権等

ア 原告らは、幸福の科学の正会員である。幸福の科学は「地上に降りたる仏陀(釈迦大如来)の説かれる教え、即ち、正しき心の探究、人生の目的と使命の認識、多次元宇宙観の獲得、真実なる歴史観の認識という教えに絶対的に帰依し、他の高級諸神霊、大宇宙神霊への尊崇の気持ちを持ち、恒久ユートピアを建設すること」を目的とする宗教法人である。幸福の科学の会員の信仰の対象である御本尊は、神の言葉を預かる予言者にして地上に降りたる仏陀である大川主宰である。

イ 原告らは幸福の科学の正会員として、宗教上の人格権を有している。この宗教上の人格権とは、民法七〇九条及び七一〇条を憲法一三条及び二〇条を指針として定立しうる概念であり、「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を明確にいきすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられることのない利益」「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊をみだりに汚されることのない利益」という意味の権利を含んでいる。

この意味での宗教上の人格権は、内容、範囲において極めて明確であり、普遍性、客観性、具体性を有しているのであって、不法行為法において保護の対象とされる権利として認めることができる。

そして、「帰依」しているといえるためには、その宗教の信者と客観的に認定できることが必要であるが、原告らは、幸福の科学の正会員であるので、幸福の科学及びその御本尊である大川主宰に帰依していることが客観的に明確である。つまり、法人たる幸福の科学とその正会員である原告らとの入会契約という私法上の契約が存在することによって、具体的・客観的に原告らと大川主宰との間の深い精神的結びつきを明確に把握することができる。

ウ 仮に右のような内容の宗教上の人格権が認められないとしても、現代社会において、他者から自分の欲しない刺激によって心を乱されない利益、いわば「心の静穏の利益」も、人格権の一種として捉えることができる。この利益が宗教上の領域においても認められ、これを宗教上の人格権ということができ、国民すべてがこの権利を享有している。この宗教上の人格権は、憲法一三条及び二〇条を解釈の指針として民法七一〇条を類推することにより実定法上根拠づけられる。

「心の静穏」も、プライバシー権と同程度に明確性を有しているので、この意味の宗教上の人格権も権利としての明確性を有している。

この「宗教上の領域における心の静穏の利益」という意味での宗教上の人格権を、本件に即して具体的にいえば「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を明確にいきすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられて心の静穏を乱されることのない利益」ということになる。

そして、被侵害行為により心の静穏が乱されたと主張して法的に保護されるためには、少なくとも被侵害者とその「帰依」する宗教団体及び御本尊との関係が客観的に把握できる明確性が必要であるが、原告らは、幸福の科学の正会員であるので、幸福の科学及びその御本尊である大川主宰に「帰依」している関係が客観的に把握できる明確性がある。

(2) 本件記事の違法性

ア 本件記事のうち、フライデーに掲載された前記一2(一)(1)の記事は、大川主宰と幸福の科学がいかがわしい存在であるかのような誤った印象を世にふりまき原告らの心を深く傷つける悪辣な捏造記事であり、(2)の記事は、大川主宰のめざす地上の恒久ユートピアの実現(仏陀の本願)があたかも「バブル」であり、その活動全てが野望に基づくかのような印象を与えるものであり、原告らの心を深く傷つける誹謗中傷記事である。

イ 次に、週刊現代に掲載された同(二)(1)の記事は、幸福の科学が不正な蓄財や脱税につながる不正行為等を行い、金銭的に不正を働いているあくどい団体であるかのような誤解を与え、また大川主宰が自己顕示欲の強いプライドの高い人間であるとの虚偽の事実をいうものであって、原告らの人生の根幹である信仰心をゆらがせ、その心を深く傷つける悪辣な捏造記事であり、(2)の記事は、幸福の科学がナチスを連想させるかの如き問題教団であって、大川主宰が夜の歓楽街で遊興する人間であるとの虚偽の事実をいうものであり、(3)の記事も再証言の形で虚偽を積み重ねるものであって、いずれも、原告らの人生の根幹である信仰心をゆらがせ、その心を深く傷つける悪辣な捏造記事である。

ウ さらに同(三)の記事は、大学教授の論文という体裁を取ってはいるが、全くの独断と悪意と偏見に満ちており、幸福の科学が無内容なデタラメな団体であり大川主宰の述べることがインチキであると思い込ませるものであって、原告らの人生の根幹ともいうべき信仰の中枢部分を言論の暴力で蹂躙する誹謗中傷記事である。

エ そして、本件記事は、①幸福の科学及び大川主宰に対する名誉毀損罪に該当し(そうでなくとも記事の誹謗中傷の程度のひどさから侵害行為の程度は極めて強度である。)、②御本尊である大川主宰は礼拝所不敬罪にいう「礼拝所」に相当するので、同罪に該当すると評価しうるものであり、③比較法的にみても神冒涜罪として処罰されかねず、④宗教に対する宗教的憎悪を唱導し、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「国際人権B規約」という。)二〇条二項に抵触するものであり、さらに、⑤マスコミの公共的性格に反するものであるので、その違法性は著しく強度である。

(3) 共同不法行為

ア(主観的関連共同の共同不法行為)本件記事は、被告らの共謀により掲載されたものである。

イ(客観的関連共同の不法行為―予備的主張その一)

出版社の同一性、用語の類似性、掲載頻度から考えて本件記事の執筆掲載行為は、社会観念上全体として一個の行為と認められる程度の一体性がある。

ウ(独立の不法行為―予備的主張その二)

① 被告早川及び被告島田は、幸福の科学及び大川主宰のみならずその教えに帰依している幸福の科学の正会員の人格的利益を侵害することのないように記事を執筆する注意義務を負っているところ、これを怠り、幸福の科学及び大川主宰に関し捏造・中傷記事を執筆し雑誌に掲載させ、これにより原告らの宗教上の人格権を侵害したのであって、その行為は、民法七〇九条に該当する。

② 被告元木、被告森岩及び被告佐々木は、雑誌の編集者として、掲載記事の内容が適切であるか否かを判断し、他者の人格的利益を侵害することのないようにすべき注意義務を負っているところ、これを怠り、本件記事を雑誌に掲載し販売させたもので、その行為は、民法七〇九条に該当する。

③ 被告講談社は、雑誌の出版・販売を営利事業として営むものとして、他者の人格的利益を侵害するような記事の掲載された雑誌を出版・販売しないようにする注意義務があるところ、これを怠り、本件記事の掲載された雑誌を出版し、全国の書店・販売店などで多数部販売したもので、その行為は、民法七〇九条に該当するとともに、被告元木、被告森岩及び被告佐々木の使用者として民法七一五条第一項の責任を負う。

④ 被告野間は、被告講談社の代表取締役として本件記事を掲載しているフライデー、週刊現代及び月刊現代を出版・販売していることを知悉しており、原告らの人格的利益を侵害する本件記事の出版・販売行為が反復継続して行われる場合には出版・販売という業務執行を中止する措置を構ずべき法的義務があるところ、これを放置し何らの適正なる措置を講じなかったため原告らの人格的利益を侵害する重大な結果を発生させたもので、その不作為は、民法七〇九条に該当する。

(4) 間接被害者に不法行為は成立するかについて

原告らが間接被害者であったとしても、原告らは直接の被害を受けており、原告らの被害が被告らの不法行為と相当因果関係の範囲内で発生した損害である以上は、損害賠償が認められるべきである。

本件で侵害された法的利益は、原告らの宗教上の人格権であり、幸福の科学及び大川主宰の有する名誉権とは別個の法的利益である。幸福の科学及び大川主宰に対する名誉毀損による損害賠償請求訴訟で救済される法的利益は、幸福の科学及び大川主宰の名誉権にすぎず、原告らの宗教上の人格権ではない。

(5) 損害

原告らは、被告らの行為により前記宗教上の人格権を侵害され、著しい精神的苦痛を受け、また本件記事を原因とする友人・知人との人間関係の破綻、伝道活動の阻害、差別的取扱い及び営業上の不利益による著しい精神的苦痛を受けた。これを金員に換算すれば原告一人あたり一〇〇万円を下まわらない。

(二) 被告らの主張

(1) 間接被害者の損害賠償について

原告らは、本件記事に関する被告らの行為の直接の被害者でなく、間接被害者である。加害行為の直接の被害者が自ら司法救済を求めることが可能な場合、それ以外の人について不法行為は成立せず、例外的に成立するのは生命侵害の近親慰謝料などの極めて限定された範囲の者のみの特殊な場合である。

本件においては、幸福の科学又は大川が自ら訴えを提起することにより司法的救済を求めることが可能なのであり、しかも原告らは右例外的な場合に該当しないから、原告らを本件において損害賠償請求権者と認める必要はない。

(2) 宗教上の人格権が認められないこと

原告ら主張の宗教上の人格権は、実定法上の根拠を欠くのみならず、その具体的内容、要件、効果等が不明確であって、権利保護の対象として承認する余地がない。

すなわち、まず宗教上の人格権における「心の静穏」それ自体が極めて個別的、主観的、かつ抽象的なものであって客観的に把握できる明確性を有していない。したがって、そのようなものを中核とする宗教上の人格権は権利としての内容、範囲につき全く明確性を欠くものである。

また、宗教上の人格権の権利主体の範囲も不明確である。幸福の科学の正会員たる地位は、幸福の科学と原告らの私的契約によって生じる両者間のみで意味のある地位であり、かつ、帰依の有無は明らかに幸福の科学の教義に関する個々人の信仰上の内心の問題であって司法審査の対象にならない事柄である。つまり、正会員であるということは、第三者たる被告らその他幸福の科学関係者以外の者には全く曖昧不明確な地位であり、宗教上の人格権の権利主体の範囲について明確性を与えるものではない。

(3) 論評の自由

本件出版行為は、憲法上優越的地位の与えられる出版の自由の保障が及ぶ行為であり、しかも極めて公共の関心の強い事柄に関するものである。出版の自由を制約できる権利は、現行不法行為法上、出版の自由との比較においても勝るとも劣らない重大な権利であって、かつ権利として確立し明確である必要がある。

原告らがいう宗教上の人格権はこれにあたらない。

第三争点に対する判断

一本件訴えの適否について

本件訴えは、特定された記事についての被告らの執筆・掲載及び出版等の行為により、宗教上の人格権が侵害されたので、右行為が不法行為にあたるとして慰謝料を請求するものであるから、法的請求として特定されており、また、大川主宰に対する不敬を一切許さないという趣旨のものとはいえないので請求内容も公序に反するものではない。

また、弁論の全趣旨によれば、幸福の科学の信者二九〇六名が、原告となって全国七か所の地方裁判所に同趣旨の訴えを提起したことが認められるが、本件訴えが、被告講談社の信用を毀損するとともに、本件訴えの提起を通じて信者をさらなる講談社攻撃へと駆り立てて煽動し、さらに被告らをして、幸福の科学及び大川主宰に対する批判的言論を今後行うことを断念させるという動機・目的に基づいてされたということはできず、他に本件訴えが右のような違法な動機、目的に基づくものであることを認めるに足りる証拠はない。

以上のとおりであるから、本件訴えに被告ら主張の違法な点はない。

二不法行為の成否について

1  原告らは、原告らがいわゆる直接被害者である趣旨の主張をするが、本件記事はその記載内容から判断する限り幸福の科学又は大川主宰を対象としたものであって、原告ら個人を直接対象にしたものでないことは明らかである。そして原告らの述べるその違法性の強度なるゆえんも幸福の科学又は大川主宰が受ける甚大なマイナス評価に帰因するものと解さざるをえない。したがって原告ら主張の宗教上の人格権を侵害され精神的損害を受けたとしても、それは、幸福の科学又は大川主宰のマイナス評価、換言すれば侮辱又は名誉毀損の結果であって、原告らは、いわゆる間接被害者に該当するということができる。

ところで、間接被害者のように侵害の態様が間接的なものである場合に被害者のすべてに不法行為の成立を認めることは、被害者が多数存在する可能性を否定しえないうえ、被害者の範囲を明確に限定づけられないことが予想されるから、損害が不当に拡大し加害者に加重な負担を課すことになり、損害の公平な分担という不法行為の制度趣旨に照らして妥当でないと考えられ、また、通常の不法行為の場合、仮に間接被害者が精神的損害を被ったとしても、直接被害者からの請求が認められることによって、間接被害者の精神的損害も同時に償われるのが通常であって、間接被害者からの請求までも認める必要がないと考えられるので、間接被害者の損害賠償請求は例外的に認められるほかは否定されるべきものと解される。よって、右例外的に認められるためには、直接被害者と間接被害者との結びつきが密接であり、かつ、明確である場合であって、間接被害者の侵害された権利ないし利益が、直接被害者の侵害された権利ないし利益と区別される明確性があり、かつ、直接被害者の被害回復では償い切れない程の重大性を有していることが必要というべきである。

しかるところ、本件請求の場合、直接被害者と間接被害者との間の結びつきは信仰という後天的な繋がりを前提にするものであり、また、正会員であるからといっても信仰の程度等に違いがあるので、直接被害者との結びつきが密接であり、かつ、明確であるとは断定できない。

また、本件請求において直接被害者が被告らの誹謗中傷・捏造記事により侵害されたという権利ないし利益は、宗教団体としての、また、宗教団体の御本尊としての名誉であるといいうるところ、「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を明確にいきすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられることのない利益」及び「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を明確にいきすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられて心の静穏を乱されることのない利益」という原告らが定義づける内容の宗教上の人格権は、その内容からして右の名誉と区別しうる程に明確性を有しているとはいえないうえ、それ自体宗教団体や宗教団体の御本尊の名誉が回復されてもなお償い切れない程の重大性を有しているとはいえない。

したがって、本件請求は右請求が認められる例外的場合にあたらない。

2  仮にそうでないとしても、原告らの主張の宗教上の人格権に対する権利侵害又は法的利益の侵害があったとはいえない。

すなわち、原告らは、まず、「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を明確にいきすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられることのない利益」「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊をみだりに汚されることのない利益」という意味の宗教上の人格権があり、これが侵害されたと主張するが、原告らの主張する内容をもって宗教上の人格権を定義づけたとしても、右宗教上の人格権なるものは実定法上の明確な根拠を欠くうえ、原告らの主張する内容の定義づけ自体、単に、本件において原告ら主張にかかる被告らの行為によって受ける被害内容を盛り込んで抽象化したものにすぎず、権利としての一般性・普遍性も深さも実質的内容もないものであって、実体上未だ法律上の権利とはいいえないものというべきであり、少なくとも侵害行為の態様を問わずその侵害があればそれだけで違法といいうるような明確な法律上の権利とはいえない。

次に、原告らは、「宗教上の領域における心の静穏の利益」を被侵害利益として捉え、これを本件に即して具体的に「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を明確にいきすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられて心の静穏を乱されることのない利益」が侵害されたと主張する。

「宗教上の領域における心の静穏の利益」は、これを宗教上の人格権というかは別として、これに不法行為法上の利益性を認めることが可能であるとしても、「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を明確にいきすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられて」という原告らの定義づけは、要するに本件で原告らの主張する侵害行為の内容を取り込んだにすぎず、それ自体不法行為の対象としての法的利益を内容として含むものでないから、法的利益の有無の判断の対象として意味があるものではない。そして、「宗教上の領域における」ものにしろ、「心の静穏を乱されることのない利益」は、内容が「心の静穏」を問題とするものであるだけに、個別的・主観的であって個人差が大きく、また、漠然としたものであることは否定できないから、客観的に把握できる明確性が十分にあるとはいえない。したがって、右静穏がみだされたことが明確であってこれを社会通念上受忍し難い程度に侵害したといえる場合に不法行為上の法的利益の侵害があったというべきである。

しかるところ、原告らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を明確にいきすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられたと原告らが主張する本件記事は、直接原告らの「心の静穏」を対象としてこれを侵害するものでなく、前記のとおりの間接的態様で侵害をしたといいうるにすぎないものであるから、右静穏がみだされたことが明確であってこれを社会通念上受忍し難い程度に侵害したとはいえない。

したがって、不法行為上の法的利益の侵害があったとはいえない。

第四結論

以上のとおり、原告らの本件請求は、理由がない。

(裁判長裁判官若林諒 裁判官遠山廣直 裁判官河合芳光)

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